トップQs
タイムライン
チャット
視点
第56回東京箱根間往復大学駅伝競走
ウィキペディアから
Remove ads
第56回東京箱根間往復大学駅伝競走(だい56かいとうきょうはこねかんおうふくだいがくえきでんきょうそう)は、1980年(昭和55年)1月2日 - 1月3日に開催された第56回目の東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)である。
実施日程
- 大井埠頭周回コース
- 箱根町芦ノ湖駐車場入口(スタート)→小田原→平塚→戸塚→鶴見→大手町読売新聞東京本社前(ゴール)
参加大学
概要
要約
視点
往路
1区
気温2.5度という絶好の駅伝日和の中でスタート。早大・石川海次がトップに立ち、それを日体大・伊藤哲二が追う。石川が区間賞を獲得し、伊藤と国士大・加藤悟が2位、3位と続く。駒大・楠康夫が4位[1]、前回王者の順大は波多野宏美が昨年に続いて5位で襷を繋いだ。大東大は清水俊光が区間15位に沈み、やや出遅れた。トップの石川から最後尾の清水までは1分39秒差であり、これは大会史上最少差であった。
2区
4年連続で石川から襷を受けた早大・瀬古利彦に対し、ジープに乗る監督の中村清は校歌の「都の西北」を歌うなどして鼓舞した[2]。瀬古は1980年モスクワオリンピックのマラソン代表を内定させた福岡国際マラソンから1カ月しか経っていなかったが、自身の持つ区間記録を41秒更新する1時間11分37秒で走り2年連続の区間新記録を達成。区間2位に3分17秒の大差をつけた[3]。襷リレーを終えるとそのまま数十メートル走って伴走車に飛び乗った。これは前回大会で中継所の混乱に巻き込まれてけがをしそうになった経緯を踏まえた対応だった[4]。日体大・新宅雅也は区間3位で走ったが、早大との差は3分37秒に広がった。筑波大・高野喜宏が区間2位の走りで9位から3位に浮上し、順大・松元利弘は区間4位で5位から4位に順位を上げた。駒大・阿部文明は順位は1つ落としたが昨年に続き区間5位で走った。1区で15位だった大東大は池田重政が8人抜きで7位にまで浮上した。
3区
トップを走る早大・金井豊は区間2位の走りで首位をキープ。国道134号線では車が大渋滞し、トップを走る金井はジグザグに走る場面もあった[5]。追う日体大・新地憲宏は区間賞を獲得し、わずかながら差を詰めた。専大・近藤孝志が6位から3位に浮上し、前回この区間で区間賞を獲得した大東大・吉元政昭は区間3位で4位に上がった。前回王者の順大は吉田富男が区間11位にとどまり、トップと6分23秒差の7位に後退した。
4区
早大・井上雅喜は区間4位と堅実に走ったが、連戦の影響で調子が上がらず4区を走ることになった日体大・中村孝生が区間新記録の走りで一気に35秒差まで詰める[6]。大東大・山元章義が区間2位で3位に、駒大・青木孝悦が区間5位で4位に浮上した。順大・村松学は区間6位で走ったが、ライバルの日体大とは7分19秒差に広がった。専大は米川優が区間最下位に沈み3位から10位に転落した。
5区
日体大・出口彰は先頭を走る早大・甲斐鉄朗を追い上げると、6.4km付近で交わしてトップに立ち[7]、3年ぶりの往路優勝を達成。早大は2年連続で往路2位に入った。順大は上田誠仁が区間賞の走りで追い上げて日体大と4分03秒差の3位に入り、大東大は4位でフィニッシュした。筑波大・横松盛人と東農大・長島浩は6位、7位で順位をキープ。東洋大は仙内勇が区間2位で8位から5位に浮上した一方、駒大・松下明は4位から9位に順位を落とした。
復路
往路優勝の日体大から11位の国士大までが時差スタートで、日体大から12分以上遅れた12位・専大以降の4チームが芦ノ湖を一斉にスタートした。また、復路の中盤までは雨が降っていたためレインコートを着て走る選手もいた[8]。なお、中大は補欠から7区に登録する予定だった選手を誤って8区に登録してしまったため、大会終了後の監督会議で7区・8区の区間記録、復路および総合の順位と記録が無効となった[9]。
6区
芦ノ湖をトップでスタートした日体大・田中春行は区間5位と堅実な走りで首位をキープ。順大・酒匂真次は2年連続の区間賞で2位に浮上し、スタート時には4分03秒あった日体大との差を2分42秒差に詰めた。早大・寺内正彦は区間14位にとどまり、3位に後退した。大東大が4位をキープし、筑波大は河野匡が区間4位の走りで5位に浮上した[10]。往路で10位だった日大は髙岡伸明が区間2位で走り、シード権内の8位に上がった一方で駒大・長谷川守は区間15位に終わり、シード権外に転落した。
7区
日体大・尾崎健吾は区間4位と堅実な走りで首位を守る。順大・中島修三は区間賞を獲得する走りで、長い直線道路では前の伴走車が見えるようになる。両者の差は最終的には1分23秒差にまで縮まった[11]。大東大・望月明義は区間3位で早大・佐藤剛史を抜いて3位に浮上。東農大・信時勝と日大・小野透は順位を二つ上げ、それぞれ5位、6位に浮上した。東洋大・佐藤和也は区間12位で6位から7位に、筑波大・田口学は区間13位で5位から9位に後退した。
8区
日体大・大塚正美は序盤は慎重に入ったが、徐々にペースアップし1時間06分20秒の区間新記録をマークした[12][13]。追いかける順大・中井良晴は区間2位で走るも、日体大との差は3分18秒に広がる。大東大・大隈広基、早大・金山雅之は3位、4位をキープし、日大・田宮健は5位に上がった。東農大・平野淳俊は区間4位で走ったが6位に後退した。東洋大は田中弘が区間13位で7位から10位に転落し、専大は往路12位から追い上げてシード権内に浮上した。
9区
日体大・坂本亘は区間記録には2秒及ばなかったものの、区間賞の走りで後続を突き放す。10区を走る双子の弟・充に襷を繋ぎ、双子の兄弟同士による襷リレーが実現した[14][15]。2位の順大・寒川正悟は日体大に離され、その差は5分33秒に広がる。3位争いでは早大・小田和利が大東大・生田昌司を抜いて3位に浮上。5位から7位は順位変動がなく、シード権争いでは8区でシード権外になった東洋大が再びシード権内に戻り、筑波大は10位に後退した。
10区
日体大・坂本充は快調なペースで走り、大会新記録で総合優勝のテープを切った。順大・小山輝夫は区間2位だったが、この区間でも日体大に引き離されて6分37秒差の2位でフィニッシュ。3位の早大・滝川哲也は順位を守るために自重したペース配分で走り[16]、そのまま3位でフィニッシュ。早大が3位以内に入るのは第31回大会以来25年ぶり。大東大、日大、東農大が4位、5位、6位でフィニッシュし、東洋大は1つ順位を上げて7位に入り、筑波大・米村雅幸は2人を抜いて8位でゴール。東海大は生野俊道が区間15位と苦しみ、7位から10位に転落し、シード権を逃した。専大は筑波大に抜かれたが東海大を交わし、9位でシード権を獲得した。9位の専大までが次回大会(第57回大会)のシード権を獲得した。
Remove ads
成績
総合成績
- 総合優勝 日本体育大学 11時間23分51秒
- 往路優勝 日本体育大学 5時間45分58秒
- 復路優勝 日本体育大学 5時間37分53秒
- ※9位以内の大学には次大会のシード権を与えられた。「無」は無効。
往路成績
- '注1')メンバーの名前の()内の数字は学年。
復路成績
- '注1')メンバーの名前の()内の数字は学年。
区間賞
区間記録
- 太字は区間1位。色つきは区間新記録。「無」は無効。
各区間順位
1区
2区
3区
4区
5区
6区
7区
8区
9区
10区
Remove ads
その他
- 早大・瀬古利彦を取り上げる目的で、2区終盤の約3分間をNHKテレビの全国多元リレー番組「日本の新春」内で中継した[17]。
外部リンク
- 第56回大会(箱根駅伝公式サイト)
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads