米騒動
米のみ主食であった時代の民衆暴動。または、主食の多様化・飽食化以降における比喩 ウィキペディアから
米騒動(こめそうどう)は食糧騒擾(農牧産物が由来の消費者による暴動)の一種である[1]。日本史で単に米騒動といった場合、狭義では「米価の暴騰によって発生する民衆の暴動」の中でも1918年の米騒動を指す。主食の多様化でコメ不足による民衆暴動が起きなくなった後も比喩表現として用いられる。
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騒動の性質
ヨーロッパでは食肉暴動などもあるが、一般に穀物・パン・麦粉など穀物関係の騒擾が最も多い。必需品である上に保存が効くため、買い占めて値を吊り上げるのに格好だからである。したがって米食が基本の東アジア・モンスーン地帯では米騒動が主で、日本はその典型である[2]。
商人の存在は都市の発生と共に古く、農畜産物を商品化する階級を掣肘する政治勢力が無い場合、食糧価格が上がるため、食糧騒擾は古代から存在した。殊に地中海世界は夏季の雨量が少ないため穀作に適せず、葡萄酒や陶磁器などの商工生産物の貿易によって黒海方面などから穀物を輸入する都市文明として栄えたが、遠路の輸入経路に乱れが生じた際に、支配的な商工階級が穀価を吊り上げるのを抑える政治勢力がいなかった。ギリシャ(殊にアテネ)やローマはその典型であったが、中世末のイタリア北半や近世初頭のフランドルもそうであった。毛織物業で栄え商工業者が支配する都市国家で穀物を輸入に依存していたからである。これらの都市国家の例を別にすれば、食糧騒擾は一般に、王権の衰える封建制末期に始まり、市民革命の前後に多い。ブルジョワジーが支配的になっているが、まだ第一次産業が中心なので投機の主要な対象が穀物になるためである。
日本の米騒動も近世後期に本格化する。農民の年貢・小作料の減免を要求する百姓一揆とは基本的に異なるが、耕地が少なくて飯米を買わねばならぬ貧農は米屋をも襲うので、米騒動の性格が混在する農民騒擾も珍しくはない。
近世の米騒動
→詳細は「一揆 § 江戸時代の一揆」、および「打ちこわし」を参照
一般に食糧価格を下げることと賃金を上げることは、食糧騰貴に対し同じ効果を持つ方法なので、日本でも鉱山・塩田・仲仕・中馬などの集団労働では賃上げ型の米騒動が(古い現物給与の習慣も相まって)見られる。加賀金沢の金箔職人、信州飯田の元結職人など同職者が集住するところでは、彼等の賃上げ争議が一般庶民の値下げ騒擾に合流して主導することも有った。欧州では花形産業の毛織物工場が中世末から都市内にあり、近世には炭坑も家庭燃料を供給するようになったので、労働者の賃上げ争議が食糧騒擾の一環であるという常識が早くから成立していた。しかし、日本近世は石高制だったので、藩米・扶持米の換金率が良くなるよう米価をつり上げる役を負わされた各藩の特権商人を標的とする街頭騒擾が、日本の米騒動のイメージになっていた[3]。
近代の米騒動
産業革命による変化
江戸時代の日本と欧米列強との格差は大きく、立憲君主制度で国内統一・近代化するには古代的天皇制までを持ち出さねばならなかった。明治維新とは「上からの近代化」だった。近代化以降の近代化期の日本では米騒動は無くならないばかりか、新旧2つの構造を持つに至ったとの意見がある。特権商人が廃藩置県・地租改正によって全国で一斉に消えた一方で、米の積出しが目立つ米移出地帯と歴史性の強い地域でだけ近世型の街頭騒擾が続いた。他方で近代化による産業革命・諸制度で生まれた工場・鉱山・都市では近代型米騒動(賃上げ騒擾・消費運動)が急速に増加していった[4]。
明治・大正期の米騒動
→「1918年米騒動」も参照
多くはインフレーションなど経済的要因によっているので、街頭型騒擾は短期であっても、近代型米騒動(賃上げ騒擾・消費者運動)は2、3年にまたがるのが普通であった。
昭和初期の米よこせ運動
→詳細は「米よこせ運動 (1932年)」を参照
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『図説 米騒動と民主主義の発展』(脚注1)の562頁に詳細な解説がある。
第二次世界大戦終結後の飢餓期と食糧メーデー
→「飯米獲得人民大会」も参照
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『図説 米騒動と民主主義の発展』(脚注1)の576~591頁に詳細な解説がある。
現代の米騒動
要約
視点
高度経済成長期以降の米需要衰退
→詳細は「減反政策」を参照
高度経済成長後は農業技術の向上や品種改良が作付面積当たりの生産量が増えた一方で、日本人による米消費量は右肩下がりに毎年減っていった。他方で小麦等の他の主食は消費拡大していった。需要減による米余りのため、米の生産量を減らす減退政策が行われるようになった。
具体的には昭和37年(1962年)に日本で「1人当たりの年間米消費量」は過去最大になり、以降から右肩下がりが続いている。1970年から日本で生産量が消費量を上回り、お米が余るようになった。そこため、 米価を維持して、既存のコメ農家を守るするために国は米の生産量を調整し、2017年まで転作を推進してきた。昭和40年(1965年)頃と比較すると、2023年の「1人当たりの年間米消費量」は約半分の50.9kg(1人/年間)まで減少している[5]。
1993年の米騒動
→詳細は「1993年米騒動」を参照
1993年(平成5年)に冷夏の影響で、日本国内のコメ生産量が減って、米の作況指数は平年100とすると同年は74であり「著しい不良」であった[6]。1993 年の自体は「平成の米騒動」と例えられるが、過去の「米騒動」のような「米価の暴騰によって発生する民衆の暴動」ではなかった。暴動に発展しなかった理由として、過去の米騒動の時代とは異なり、日本は豊かな国家となり、主食はパンなどコメ以外にも多様化していたため、他にも食べるもの自体は溢れていたことにある[1]。原因は1913年以来の80年ぶりの大冷夏であったこと、1991年の作況指数95で「不作」であったことで古米在庫量が例年よりも少なかったことも拍車をかけた[6]。
1993年産米の作況指数は平年収穫量の3/4しか無く、2024年のマスメディア報道由来の「令和の米騒動」とは異なり、本当のコメ不足であった。そのため、2024年の方はマスコミの連日の過剰報道由来である一方で、外食やパックご飯の需給と供給比に大きな逼迫はみられず、記録的冷夏による凶作でコメを緊急輸入した1993年の「平成の米騒動」に比べてもその深刻度は低い[7]。
これを機に1995年に食糧管理法を廃止し「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」が施行され、政府備蓄米制度が発足した。
2024年の米騒動
以上3点の画像はイオン海浜幕張店(千葉市)で
市販米価格と米生産量目線
2024年には、後述の理由で一時的に需給バランスの崩れから、年間契約されている業務用(外食チェーン店やパックご飯など)以外の市販コメが品薄状態となった[8][5][7]。大手外食チェーンや飲食店、コンビニは米農家らと年間契約しているため、騒動時も米不足とは無関係であった[5]。後述の2024年8月頃から「令和の米騒動」と報道され、その後も米価は上昇し、1等米の1俵(60キログラム)の値段は前年度の約1.5倍となった。これでも農家らはコメの値段の上昇率は米を作るための物価上昇率と比較すると値上がり幅は不十分であると指摘している。朝日新聞の取材に答えた農家も「値上がりではない。やっと(生産者目線で)もうけが出るようになっただけだ」と話している[8]。マスメディアから「令和の米騒動」ともいわれる値上がりに、生産者らはコメの取り引き価格が上がったことを適正化だと歓迎した。 生産者目線では、肥料、燃料、人件費など全部上がっていたので、かつての「米の生産単価」があまりにも低すぎたと語っている。米の生産単価が旧来のような安価なままだと、離農も増えていくと指摘している。現時点のコストで今ぐらいの単価で漸く、「次への投資に回せるような価格帯になった」と明かし、「消費者の方も大変かもしれませんが、なんとか農家の実態もご理解いただければと思います」と述べている[9]。
端境期の買い占め報道・メディア報道による深刻化
2024年の米不足の原因についてはいくつかの説がある。平年を100とした場合の収穫量を示す「作況指数」は、2023年の全国平均で平年並みの101である。例として、上記の「平成の米騒動」の「1993年産米の作況指数」は74という平年収穫量の3/4しか無かったのと比べても深刻ではない[7]。2023年の夏の暑さの影響で、ちょっと粒が小さいとか、精米で割れやすく製品化するのには玄米を少し多めに使わなければいけなかったことも2024年米騒動要因の一つとの意見もある[10]。
2024年には前年の猛暑で供給量が減ったことに加え、訪日観光客による需要増で2024年6月末時点のコメの在庫は記録を始めた1999年以降最も少ないものとなった[11]。そこに、8月に南海トラフ地震に関連する情報がマスコミで大きく報道されたことで、買いだめを開始する者が発生し、スーパーなどでの品薄に拍車をかけた[11]。「スーパーの棚からお米が無くなった映像」「令和の米騒動」とメディアが社会不安を過剰に煽ったことで、さらに米不足の状況を一層深刻にした。端境期という新米が出る9月の直前に、多くのメディアが連日「米不足」報道で消費者の不安が高まったことで、必要以上にお米を買い求める消費者が発生した[5]。ふるさと納税に寄付して白米を得ようとする者もいた[12]ほか、ホットケーキミックスなどの家庭用プレミックスが主食として利用されるようになったと見る向きもあった[13]。このコメ不足は、「令和の米騒動」と呼ばれた。米価は今まで赤字販売していた生産者らの生産コストが反映されたこともあり、9月の新米価格も前年よりも高くなった[12][14]。
備蓄米とコメ生産者の関係
同年8月26日、大阪府知事・吉村洋文は政府に対して政府備蓄米を放出するよう求めた。農林水産省は新米がでる時期に備蓄米放出すると米価暴落し、農家に深刻な被害が出ることから対して慎重な姿勢を示した。コメ農家ら生産者側も新米販売前や期間に放出されると大打撃を受けるため、農林水産省側の姿勢を支持し、今までが安すぎたと明かしている[10][18]。翌2025年1月末に江藤農相は「せっかく米価が上がって生産コストをまかない将来に明るい兆しが出てきたのに国が在庫を出すのかと(生産者に)反発はあるかも知れない」としつつ、備蓄米放出を予定しているとした。米価で米離れが起きる可能性への懸念か安定供給も農水省の責務だと強調したものの、備蓄米放出の生産者への影響懸念から「私自身迷いがある」と話している[19]。2025年になっても減反を停止・縮小したという報道は無い。
世界の米関連問題
米が主食の国家の場合、米の価格高騰、国内流通量の減少は治安悪化や国家の運営を揺るがす事態に直結する問題となる。そのため、国家元首は米の価格、流通に対し、神経質になるという[20]。
2008年に消費者側の状況を見ると、特に貧困層はエンゲル係数が高く、食料費の高騰の影響を受けやすい[21]。
国際取引について
米は小麦とトウモロコシに並んで三大穀物とも呼ばれ、大量に生産されているが、生産量に比べ、国際間の取引流通量は少ない。これは主に生産国内でまず主食として消費されるため、国外に出回りづらいためである[20]。そのため、主要輸出国で少し生産量が減少した場合、主要国国内での流通量はそれほど変動しないとしても、輸出量は大幅に変動することになる。また輸出上位国の輸出量が市場流通量に占める割合が高いため、一国に何かあった場合は波及が大きい[20]。しかも、日本人、中国人、朝鮮人が主食とする短粒種のジャポニカ米は、それらの国で国内消費される比率が高く、国外に出回りづらい傾向が更に拍車をかけている。米の国際取引においては、輸出トン数の上位3ヶ国インド、ベトナム、タイ王国(順に26%、19%、18%)などで主食となっている長粒種のインディカ米が8割近くを占めている[22]。
増産の難しさについて
米の需給が逼迫する中で、米の増産はすぐに出来ない。以下、要因を挙げる。
2000年代後期の価格上昇
2007年3月から2008年3月にかけて、国際的な米の価格の上昇によって、米騒動といえる状況が発生した。この期間、米価指標は50%以上上昇した[24]。米価上昇の背景には、原油価格上昇に伴った費用増加(肥料、輸送費、穀物乾燥に使用する燃料など)、主要な米生産国での天災による不作[25]、米価格上昇に伴い利潤優先で米が国外流出して国内流通が不足することを恐れたインドなどが、米の輸出制限[25]を行ったことによって国際流通量が減少したことなどが挙げられる[24]。また、価格上昇は今後も続くと見た投機資金の流入も起きた。[24]。
米の価格高騰の影響を一番受けるのは、低所得層である[23]。各国では「米を買うために長い行列ができる」(フィリピン)[24]、「今まで無かった米泥棒が多発」(タイ王国)[25]、「米の代わりにイモを食べるよう、軍が指導」(バングラデシュ)[25]といった状況にあった。
比喩
- 1975年の特撮『正義のシンボル コンドールマン』では、敵組織が世界征服の手段として食料の買い占めを実行する。
- 2020年発売のゲームソフト『天穂のサクナヒメ』が売り切れ続出となった際に「令和の米騒動」と称された[26]。
- 川勝平太は静岡県知事時代の2021年に参院静岡補選の応援演説で対立候補の若林洋平(前御殿場市長)を「あちら(御殿場市)はコシヒカリしかない」と揶揄し批判が殺到、県政史上初の辞職勧告決議可決に至った。NHKは一連の出来事を「静岡県の米騒動」と報じた[27]。→詳細は「川勝平太 § コシヒカリ発言」、および「若林洋平 § 参議院議員補欠選挙への出馬と川勝知事の御殿場コシヒカリ発言」を参照
- 中日ドラゴンズ監督の立浪和義が2023年に選手に対して白米禁止令を出したと報じられ、「令和の米騒動」と称された[28]。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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