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羽生操
日本の作家・翻訳家 ウィキペディアから
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略歴
鹿児島県種子島の西之表松畠出身[2]。1905年3月榕城尋常高等小学校高等科3年修了[2]。1910年3月第一鹿児島中学校卒業[2]。同年5月から翌年7月まで国上小学校や榕城小学校の代用教員を務める[2]。1911年9月には第七高等学校造士館に入るが、病気で中退し、郷里に戻って静養[2]。
1918年上京し、同年博文館に入社して雑誌編集者を務め、1921年5月退社[2]。1922年4月から1924年3月まで日本女子高等学院教授(国文学担当)[2]。1928年10月から1933年7月まで萬朝報特派員として西欧を、1935年12月以降商工省貿易局編纂図書資料調査のため香港・東南アジア・ハワイ・北米を回る[2]。
著書
翻訳
- 『夫ドストエーフスキイの回想』(アンナ・グリゴーリエウナ・ドストエーフスカヤ、興風館) 1941
- 『嵐の中の子供』(ヴィクトル・ユーゴー原作、中村清太郎絵、藤巻書房) 1948
- 『門番の子ブレーズ』(セギュール夫人、須田寿絵、桐書房) 1948
脚注
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