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肝付兼演

日本の戦国時代の武将 ウィキペディアから

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肝付 兼演(きもつき かねひろ)は、戦国時代武将大隅国加治木城主。

概要 凡例肝付兼演, 時代 ...

兼演の家系は肝付氏本家12代・兼忠の三男・兼光を祖とする肝付氏庶流で、島津勝久家老を務めた。大永6年(1526年)11月に勝久が島津貴久に家督を譲った際に、兼演は越前守に任じられ、そのまま貴久に仕えた。天文3年(1534年)、貴久の実父・島津忠良に辺川・加治木・木ノ内・中ノ州などの領地を与えられてより、それまでの本貫地であった大隅溝辺から加治木に拠点を移した(大永7年(1527年)説あり)。

天文6年(1537年)、兼演は薩州家当主・島津実久の調略に応じ、一転して貴久に敵対する。これに貴久は、天文11年(1542年)に北原氏庶流の北原兼孝の助勢を得て加治木に攻め込むが、兼演はこれを退却させた。貴久は次に、天文18年(1549年)5月に伊集院忠朗樺山善久北郷忠相らの軍勢を遣わした。これに蒲生氏入来院氏祁答院氏東郷氏が兼演の助勢に駆けつけ対陣するも、11月に伊集院忠朗の子・忠倉の火計により陣を乱され敗退、兼演は北郷氏を通じて翌年[1]貴久に降伏した。しかし、翌年に加治木の領有は安堵される。

天文21年(1552年)に死去。享年55。嫡男・兼盛が後を継いだ。

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脚注

参考文献

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