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臼杵神社
大分県臼杵市大字稲田字林西平にある神社 ウィキペディアから
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臼杵神社(うすきじんじゃ)は、大分県臼杵市大字稲田字林西平に鎮座する神社である。
概要
通称は「臼塚さま」。大友時代臼杵五社の一つ。臼塚古墳の後円部を社殿敷地とし、境内には、舟形石棺2基及び短甲形石人2基がある。
祭神
このうち菅原神は、明治9年(1876年)、同市大字稲田字天神に鎮座していた天満社を合併したものである。境内社として、稲荷神社1社(祭神:倉稲魂命)がある。
例祭
古文献類では、6月19日及び11月19日とされているが、現在では、4月第2日曜日及び12月19日近日曜日である。例祭で奉納される獅子舞は、寛政7年(1795年)に始まったものである。
境内
臼塚古墳(前方後円墳)をすべて境内としている。後円部には、社殿と船形石棺2基がある。また、拝殿前(前方・後円の接続部)に、短甲形石人2基(重要文化財)があったが、現在は、境内整備により、鳥居付近に移動されている。
なお、この短甲形石人については、臼と杵を模ったように見えることから、現在の「臼杵」の名の由来であるとする説がある[1]。
その他
従前、同市芝尾地区に鎮座していたのを遷したとする異説もあるが、同説を紹介した最古の文献では「けだし往古よりの鎮座なり」として、これを否定している[2]。
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歴史
天孫降臨の際に臼と杵を降ろした地とする口承があるが、文保2年(1318年)、託宣により創建されたといい、初めは「臼塚大明神」と称した。
享保14年11月19日(1730年1月7日)「臼杵大明神」と社名を改称し、寛政7年(1795年)に獅子舞が始められ、文化8年(1811年)、神道講釈を開催。天保2年(1831年)と同5年(1834年)には臼杵領内神主20家による湯立神楽が奉納され、安政元年(1854年)、安政南海地震により、境内の石燈が倒壊。
明治9年(1876年)12月、同市大字稲田字天神に鎮座していた天満社1社を合併し、「稲田神社」と社名を改称。大正11年(1920年)、氏子らに社名復旧の動きがあり、「臼杵神社」と社名を改称した[3]。
伝承
「神代事記」「陣貝詞」「臼塚射書詞」と称する由緒・意図不明の記号群及び文字列の伝承を記述した文献がある[4]。
文化財
- 重要文化財
- 短甲形石人 2箇(重要文化財指定名称は「石甲」)
交通アクセス
脚注
参考文献
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