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草内村

日本の京都府綴喜郡にあった村 ウィキペディアから

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草内村(くさうちむら)は、京都府綴喜郡にあった。現在の京田辺市の南東部、木津川の左岸にあたる。

概要 くさうちむら 草内村, 廃止日 ...

地理

歴史

  • 草内の名前は草の中から地蔵が見つかったことに由来する。
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、草内村・東村・飯岡村の区域をもって発足。
  • 1951年昭和26年)4月1日 - 田辺町に編入。同日草内村廃止。

草内の渡し

1582年(大正10年)6月

草内集落はかつての条里集落で、古くから草内の渡しと呼ばれた木津川の渡しがあり、河内・山城・近江が結ばれる、古来の東西交通路の要衝であった。

1582年(天正10)6月2日未明に起こった本能寺の変の際、徳川家康と穴山信君は泉州堺を遊覧中であった。同日昼頃には急報がもたらされていたとされる家康は、茶屋四郎次郎清延の案内で岡崎への脱出を開始し、3日この地で木津川を渡り、伊賀超えを経て無事岡崎へ逃れた。

一方信君は猜疑心から家康とは別行動を取っており、1日遅れてこの地に辿り着いたが、一揆勢の手にかかり主従12名は落命した。一説に普賢寺谷で信君の従者が道案内人を殺し、その太刀の銀製のツバを奪った事から、土着民が蜂起し、木津川を渡る前に殺害されたともいわれる。

  • 指定府道枚方水口線

参考文献

関連項目

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