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草野忠義
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草野 忠義 (くさの ただよし、1943年10月17日[1] - 2012年3月7日)は、昭和から平成時代の労働運動家。連合顧問[2][3]、連合総研理事長。連合事務局長、自動車総連会長、金属労協議長。
経歴
大分県出身[1]。1966年東京大学経済学部卒業、日産自動車に入社。1973年日産労組専従。1979年日産労組書記長。政策推進労組会議事務局次長、全民労協事務局次長を経て、1986年自動車総連事務局長。1994年自動車総連副会長、日産労連会長。1998年自動車総連会長、連合副会長[4]、金属労協副議長。2000年9月金属労協議長(2001年9月まで)[5]。2001年9月自動車総連常任顧問[4]。同年10月連合事務局長(2005年10月まで)[4][6]。2005年11月連合総研理事長[6]。
2012年3月7日、膵がんのため死去、68歳[7]。同年5月14日に品川プリンスホテルで、連合、自動車総連、日産労連、連合総研、社団法人教育文化協会の5団体を発起人としたお別れ会が開催された[8]。会では古賀伸明連合会長の発起人代表挨拶、野田佳彦首相、西原浩一郎自動車総連会長、神野直彦の弔辞があった[9]。
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役職等
- 公職
- 中央教育審議会委員[10]
- 中央職業能力開発審議会委員[11]
- 教育改革国民会議委員[10]
- 労働政策審議会委員[12]
- 税制調査会委員[13]
- 年金積立金管理運用独立行政法人運用委員会委員[14]
- 国家公務員倫理審査会委員[15]
- 行政刷新会議議員[16]
- 民間
著書
- 『新しい日本の教育像』(高橋史朗、木村治美、石川光男共著、富士社会教育センター[パラダイムシリーズ]、2001年)
- 『自治体はみずからリストラできるか』(草野忠義ほか述、東京市政調査会[「都市問題」公開講座ブックレット]、2006年)
- 『担雪填井――小さな小さな自分史』(小さな小さな自分史編さん委員会、2012年)
脚注
外部リンク
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