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荻野豊平
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荻野 豊平(おぎの とよへい、1891年(明治24年)8月23日[1] - 1961年(昭和36年)1月31日[1][2])は、大正・昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)。
経歴
山梨県中巨摩郡藤田村大字藤田[1](若草村、若草町を経て現南アルプス市)で、土木請負業・荻野九十郎の長男として生まれる[1]。甲府中学校(現山梨県立甲府第一高等学校)を中退し、家業を継いで荻野組を組織した[1]。1922年(大正11年)甲府市百石町(現丸の内二丁目)に転籍した[1]。
1936年(昭和11年)6月、山梨県会議員に当選し9年間在任し、副議長、議長を務めた[1][2]。この間、甲府地方裁判所人事調停委員、大政翼賛会山梨県中央協力会議長、県農地委員、甲府市戦災復興参与、県食糧営団理事、県交通協会顧問などを務めた[1]。1947年(昭和22年)1月、公職追放となった[1][3]。
1949年(昭和24年)2月、山梨県建設業協会会長に就任し4期在任[1][2]。1951年(昭和26年)8月、公職追放が解除され[1]、1952年(昭和27年)山梨県小中学校PTA連合会会長に就任[1][2]。その他、全国建設業協会連合会常任理事、甲陽振興取締役社長、荻野組取締役社長なども務めた[2]。
1952年10月の第25回衆議院議員総選挙に山梨県全県区から無所属で出馬して当選[1][4]。第26回総選挙では落選[5]。1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙で再選され[1][5]、衆議院議員に通算2期在任した[1][2]。この間、日本民主党経理局次長、自由民主党政調会建設副部長などを務めた[2]。1956年(昭和31年)12月、若草村火の見櫓建設資金として10万円寄付により1957年(昭和32年)6月26日、紺綬褒章受章(飾版)[6]。長年、建設業に携わり経営に努め実績を挙げ、業界団体の要職に就いてその発展に寄与したとして同年12月15日、藍綬褒章受章[7]。1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙に出馬したが落選した[5]。
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脚注
参考文献
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