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菅原武男
日本のハンマー投げ選手 ウィキペディアから
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菅原 武男(すがわら たけお、1938年5月23日 - )は、日本のハンマー投げ選手。秋田県鹿角市出身。秋田県立毛馬内高等学校、日本大学卒業。
経歴
1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピック、1968年メキシコシティーオリンピック、1972年ミュンヘンオリンピックに出場した[1]。メキシコシティーオリンピックでは日本選手団の主将を務めた。
ハンマー投げを始めたのは高校3年と遅いスタートだったが、その年の県大会で優勝、東北大会で優勝、インターハイで4位入賞[2]。日本大学4年時にローマオリンピックに初出場したが予選落ち。
大学卒業後、リッカーミシンに入社。東京オリンピックの前年に67m73の日本記録を打ち立てたが、1日12時間の猛練習で腰を痛め、東京オリンピックでは63m69の不本意な記録で13位に終わった。
身長174cmで外国人選手に比べ小柄だったが、毎日ステーキを食べ筋力アップに取り組み[2]、メキシコシティーオリンピックのハンマー投げでは4位に入賞した。3位のハンガリーの選手と同じ69m78を記録したが、セカンド記録の差で銅メダルを逃している。
最後となったミュンヘンオリンピックでは20位に終わり、その後引退。
世界で初めて4回転を完成させた選手として知られ、1963年から70年まで日本記録を保持していた[3]。
インドネシア・ジャカルタで開催された1962年アジア競技大会に出場し、ハンマー投で銀メダルを、タイ・バンコクで開催された1966年アジア競技大会に出場し、ハンマー投で金メダルを獲得した[4]。
東京都羽村市在住で、2018年に羽村市のYouTube公式チャンネルに出演。東京オリンピック組織委員会オフィスを訪問し、室伏重信・室伏広治親子と対談を行った[5]。2020年東京オリンピックの聖火リレーでは東京都内の聖火ランナーの一人に選ばれた[6]。
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脚注
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