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華陽の戦い
春秋戦国時代の戦い ウィキペディアから
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華陽の戦い(かようのたたかい、繁体字:華陽之戰、簡体字:华阳之战)は、紀元前273年に発生した秦が魏と趙を攻めた戦い。
紀元前273年、趙と魏は韓の重要な城邑の華陽(現在の河南省鄭州市新鄭市の北)に侵攻した。韓は秦に救援を求め、秦の昭襄王は武安君白起と穣侯魏冄・客卿の公孫胡昜が率いる軍を派遣した。平均で一日に100里の行軍の速度で急襲し、秦軍は突然、華陽の戦場に現れた。趙と魏の軍は、対策を練っていないために、趙・魏軍は大敗した。この戦で秦軍は魏軍を13万斬首し、魏将3名を捕虜とした。魏将芒卯は敗走した。趙将賈偃は趙軍の捕虜2万人とともに黄河に沈められた。
秦軍は勝利に乗じて魏の巻(現在の河南省原陽県の北西の原興街道)・蔡陽(現在の湖北省棗陽市の南西)・長社(現在の河南省長葛市の東)[1]と趙の観津(現在の河北省武邑県の東の審坡鎮)を取った。魏は南陽(太行山より南で黄河より北の地域)を割譲して和を求めた[2][3]。
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脚注
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