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葛飾戴斗

江戸後期の浮世絵師 ウィキペディアから

葛飾戴斗
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葛飾 戴斗(かつしか たいと、生没年不詳)とは、江戸時代浮世絵師

概要 性別, 国籍 ...

来歴

葛飾北斎の門人。姓は近藤、名は文雄。通称は伴右衛門、喜三郎。斗円楼北泉、洞庭、洞庭舎、玄龍斎、米華斎、米華山人、米華道人、野竹、閑観翁、昇山などとも号す。もと但馬国(現兵庫県豊岡藩小笠原家の藩士として江戸に生まれた。初め上野山下に住み、後に平河町に移ったといわれる。

北斎の門に入り斗円楼北泉と称したが、文政3年(1820年)に葛飾北斎から「戴斗」の号を譲られ二代目戴斗を名乗り、葛飾戴斗、玄龍斎戴斗と号す。戴斗は北斎が文化8年(1811年)頃から文政2年頃まで使用した画号であった。その作品は高い評価を受けていたという[1]。北泉と称した時には『北斎漫画』二編の刊行に尽力した。作画期は文政から嘉永の頃にかけてで、作域は広く肉筆画の他、版本の挿絵、錦絵なども手がける。画風は北斎の画法を最も忠実に継いでいるが、『浮世絵師人名辞書』はこの戴斗について「…後大阪に至り、偽りて自ら北斎と称す、人卑みて犬北斎又は大阪北斎と呼べり」と記している。墓所は豊岡市三坂の旧瑞泰寺。門人に戴岳、北涯がいる。

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作品

版本

  • 『二十四孝図会』一冊 ※文政5年(1822年)刊行
  • 英雄図会』一冊 ※文政8年(1825年)刊行
  • 万職図考』一冊 ※「文政丁亥」(文政10年)の序あり
  • 花鳥画伝』二冊 ※嘉永元年(1848年)から翌年にかけて刊行
  • 絵本通俗三国志』全七十四巻。※湖南文山訳・池田東籬亭校訳[2]
  • 『小紋雛形』一冊 ※刊行年不明
  • 『戴斗画譜』一冊 ※刊行年不明
  • 『武者鏡』 ※刊行年不明

肉筆画

さらに見る 作品名, 技法 ...
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脚注

参考文献

関連項目

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