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葦敷重頼

平安時代末期の武将。源重遠の次男。尾張春部郡安食荘荘司。子孫は葦敷氏、勝野氏。子に葦敷重助(生津太郎) ウィキペディアから

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葦敷 重頼(あじき しげより)は、平安時代末期の武将信濃源重遠の次男[4]安食重頼とも表記される。

概要 凡例葦敷重頼, 時代 ...

経歴

源満政から七代の孫にあたり、尾張国春部郡安食荘[5]荘司となって同荘広瀬島に住した。長承年間に起こった墨俣合戦で大きく功を挙げる。その時戦死した子息・安食重義をはじめ郎党等の菩提を弔うために安食荘内に聖徳寺を創建した。晩年出家し、常観坊隆憲を称す。聖徳寺に伝わる文書によれば官位は従六位下右衛門少尉1176年(安元2年)2月21日に没した。また同荘内には葦敷・山田一族の菩提寺で重頼の法名にちなんだ常観寺[6]があった。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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