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蒔田定正

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蒔田 定正(まいた さだまさ)は、備中国浅尾の寄合旗本。備中浅尾藩蒔田広定の長男。

概要 凡例蒔田定正, 時代 ...

生涯

慶長19年(1614年)からの大坂の陣では父と共に参戦する。後に相模国内で500石、さらに甲斐国内などで800石を与えられ、寛永11年(1634年)5月には御使番、同年8月には大坂目付となった。寛永13年(1636年)、父の死去により家督を継ぐが、このときに父の遺言で3000石を弟の長広(三須田蒔田家)に分与したため、定正は8316石の旗本となった。

その後、駿府目付や池田光仲の目付などを務める。寛永17年(1640年)12月29日、因幡国から帰国中の近江国草津にて死去した。享年50。後を嫡男の定行が継いだ。

系譜

  • 父:蒔田広定(1571/75-1636)
  • 母:大島光義
  • 正室:戸田尊次
    • 嫡男:蒔田定行(1620-1690)
    • 次男:蒔田定則(?-1693)
    • 三男:戸田忠辰(?-1712) - 戸田正次養子
  • 生母不明の子女
    • 女子:依田信重
    • 女子:山角定勝
    • 女子:池田長勝
    • 女子:石河重勝
    • 女子:蒔田広正
    • 女子:小堀政尹
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