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蒔田政勝

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名 ウィキペディアから

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蒔田 政勝(まいた[4]/まきた[2] まさかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将大名豊臣家の譜代家臣。通称は主水正。は初めは広政で、正次ともいった[1]

概要 凡例蒔田政勝, 時代 ...

略歴

尾張国織津の出身という蒔田広光の長男。姓は『寛政譜』等では「まきた」と読みがふってある[2]

豊臣秀吉に仕えて金切裂指物使番となった。主に「蒔田主水正」の名で知られ、秀吉の小姓である蒔田権佐は弟。

天正16年(1588年)4月14日の後陽成天皇聚楽第行幸のときに供奉。関白(秀吉)の牛車の左右の随身のうち、毛利民部大輔野村肥後守木下左京亮が左側3名、政勝・中嶋左兵衛尉・速水甲斐守が右側3名であった[5]

慶長3年(1598年)8月、病床の秀吉から志津の刀、初音の加羅香、(後陽成天皇の[2])鏡を授けられた[1]

慶長4年(1599年)頃、摂津河内和泉内で4万石を知行[6]

慶長5年(1600年)の関ヶ原の役で西軍に与して減知。以後は大坂城豊臣秀頼に伺候した[1]

慶長12年(1607年)4月13日に没した[1][2]

脚注

参考文献

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