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蒿俊閔
中華人民共和国のサッカー選手 (1987-) ウィキペディアから
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蒿 俊閔(こう しゅんびん、Hao Junmin, 1987年3月24日 - )は、中華人民共和国・湖北省武漢市出身の元サッカー選手。元中国代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
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経歴
幼い頃は地元の武漢光谷のユースチームで練習を積んでいて、ユース代表にも毎回選出されるなど中国期待の若手であった。2003年にフィンランドで開かれたFIFA U-17世界選手権に中国代表の一員として参加。チームは予選敗退したが、その類いまれなる才能に注目したプレミアリーグのチェルシーが翌2004年4月に練習参加を要望し、2週間ほどであったが、世界屈指のチームでの練習を経験した[1]。
そしてその才能に注目した天津康師傅の劉春明監督(2003年 FIFA U-17世界選手権の中国代表監督)が天津康師傅に連れてくる。その後は順調にステップアップを果たし翌2005年にFIFAワールドユース選手権で中国のベスト16入りに貢献すると翌月に行われた東アジアサッカー選手権2005の日本戦にて18歳ながら代表デビューを果たした。
2010年1月にシャルケ04にフリーで移籍。若手ながら背番号は7番と期待の大きさを伺わせた。1年目はシーズン中盤に加入しながらリーグ戦8試合(5試合スタメン)とドイツ屈指の選手層を誇るシャルケ04で及第点といえる滑り出しであった。シーズン終了後、元スペイン代表のラウールの加入が決まったため、背番号7番から1番スライドする形で8番となった。その後はファルファンらとの競争に敗れ出番が減少し、サイドバックにコンバートされることもあった。内田篤人とも在籍期間が被っており、一緒にインタビューを受けるシーンもあった。
2010年10月末にシーズン中ではあったが盲腸の手術を受けるためにチームを離脱し入院していた。
2010-11シーズン終了後、山東魯能泰山への移籍が発表された。契約期間は3年間、移籍金は50万ユーロとなっている。
2019年から、鄭智の跡を継ぎ中国代表のキャプテンを務める。
2022年、武漢足球倶楽部へて広州足球倶楽部へ加入。
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個人成績
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代表歴
出場大会
- U-17中国代表
- 2003年 - FIFA U-17世界選手権
- U-20中国代表
- 2004年 - トゥーロン国際大会
- 2005年 - カタール国際ユーストーナメント
- 2005年 - 東アジア競技大会
- 2005年 - FIFAワールドユース選手権
- U-23中国代表
- 2008年 - 北京オリンピック
- 中国代表
- 2005年 - 東アジアサッカー選手権2005
- 2008年 - 東アジアサッカー選手権2008
- 2011年 - AFCアジアカップ2011(グループリーグ敗退)
- 2015年 - AFCアジアカップ2015(ベスト8)
得点
タイトル
クラブ
- DFBポカール:2010-11
- 中国FAカップ:2014, 2020
- 中国サッカー・スーパーカップ:2015
代表
- 東アジア競技大会:2005
個人
- 中国サッカー協会 最優秀新人選手賞:2005, 2007
脚注
外部リンク
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