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藤井忠兵衛
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藤井 忠兵衛(ふじい ちゅうべえ、1871年1月26日(明治3年12月6日)[1] - 1945年(昭和20年)8月27日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
播磨国多可郡、のちの兵庫県[2]多可郡中村(中町を経て現多可町)で、藤井忠二の長男として生まれた[3]。中等教育を修め、酒造業を営む。中村会議員、同村長、多可郡会議員、兵庫県会議員、同参事会員、同副議長、所得税調査委員、同審査委員、地方森林会議員、多可銀行取締役頭取、播但鉄道(株)取締役となる[2]。
1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙において兵庫9区から無所属で立候補して当選した[4]。のち立憲政友会に入り、衆議院議員を1期務めた。1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。頭取を務めた多可銀行は破綻に至るが、その原因の不正に関わったことで1931年(昭和6年)7月11日、姫路支部裁判所で藤井は懲役2年の実刑判決、1932年(昭和7年)10月末の大阪控訴院で控訴棄却、1933年(昭和8年)4月27日、大審院は上告棄却し判決確定、服役となった[5]。これにより勲六等及び大礼記念章(昭和)を褫奪された[6]。1945年死去。
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脚注
参考文献
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