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藤原三藤
平安時代初期から前期の貴族。藤原南家。従五位上・下野守。母は紀沙弥の娘(子に藤原常守)。 ウィキペディアから
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藤原 三藤(ふじわら の みふじ/みつふじ/ただふじ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。藤原南家、中納言・藤原貞嗣の子。官位は従五位上・下野守。
経歴
蔵人を経て、承和11年(844年)正六位上から従五位下に叙爵。
文徳朝では次侍従・諸陵頭を歴任し、仁寿3年(853年)陰陽頭に任ぜられる。のち、陰陽頭を務める一方で紀伊介・土佐権守と地方官を兼ね、天安元年(857年)には従五位上に叙されている。
清和朝に入ると、貞観2年(860年)に陰陽頭から下野守として地方官に転じるが、その後の消息は不明。また、任官時期は明らかでないが、伊予守・伊勢守も歴任したという。
官歴
註釈のないものは『六国史』の記載に従う。
系譜
脚注
出典
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