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藤原信隆
日本の平安時代の公家、坊門家の祖 ウィキペディアから
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藤原 信隆(ふじわら の のぶたか)は、平安時代後期の公卿。藤原北家道隆流、右京大夫藤原信輔の子。後鳥羽天皇の外祖父。従三位・修理大夫。贈従一位・左大臣。七条修理大夫と号す。坊門家の祖であり、坊門 信隆とも記される。
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経歴
後白河上皇の近臣である一方、平清盛の娘を妻とした関係で、親平家派の廷臣としても活動する。応保元年(1161年)には、平教盛、平時忠らとともに二条天皇を廃して憲仁親王(後の高倉天皇・生母は時忠の妹滋子)を擁立する陰謀に加わったかどで、因幡守、右馬頭を解官される憂き目に逢っている。
赦免されて後は平氏政権の興隆とともに栄達し、仁安3年(1168年)に従三位に進んだ。娘の殖子は高倉天皇の寵愛を受け、守貞親王・尊成親王の2皇子の生母となった。治承3年(1179年)、54歳にして薨去。寿永2年(1183年)、尊成親王が後鳥羽天皇として践祚した後、その外祖父として従一位・左大臣を追贈されている。
官歴
『公卿補任』による
- 長承2年(1133年) 正月5日:叙爵(従五位下)
- 久安3年(1147年) 4月11日:右衛門佐
- 久安4年(1148年) 正月7日:従五位上
- 仁平2年(1152年) 正月5日:正五位下。正月28日:兼土佐介
- 仁平4年(1154年) 正月22日:兼因幡守
- 久寿2年(1155年) 正月6日:従四位下
- 久寿3年(1156年) 正月27日:右馬頭
- 保元2年(1157年) 10月22日:従四位上
- 保元3年(1158年) 8月5日:正四位下
- 応保元年(1161年) 9月28日:解官
- 永万2年(1166年) 正月12日:右馬頭。6月22日:伊予守
- 仁安3年(1168年) 8月4日:従三位、非参議。12月13日:大宰大弐
- 承安元年(1171年) 12月8日:修理大夫
- 安元2年(1176年) 正月3日:正三位
- 治承3年(1179年) 10月某日:出家。11月17日:薨去(享年54)
- 寿永2年(1183年)以降:贈従一位、左大臣
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系譜
- 父:藤原信輔
- 母:橘家光の娘
- 妻:藤原休子 - 藤原(持明院)通基の娘、贈正一位
- 妻:平清盛の娘
- 男子:坊門隆清(1168年 - 1214年)
- 妻:家女房
- 男子:藤原信定(1145年 - 1226年)
- 妻:家女房
- 男子:藤原親輔(1164年 - 1225年)
- 生母不明
- 男子:藤原長経
- 男子:隆毫(または隆亮)
- 女子:藤原信子(帥典侍)
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