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藤原通基 (大蔵卿)
平安時代後期の貴族。持明院家2代。藤原基頼の次男。母は藤原国仲(筑前守)の娘。正四位下、能登守、大蔵卿、左京大夫。子に良基(延暦寺、阿闍梨、檀那院、阿弥陀院)、長基(延暦 ウィキペディアから
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藤原 通基(ふじわら の みちもと)は、平安時代後期の貴族。能登守・藤原基頼の次男。官位は正四位下・大蔵卿。持明院 通基とも呼ばれる。
経歴
白河院政期末から鳥羽院政期前半にかけて、武蔵守・因幡守・丹波守と受領を歴任したほか、左京権大夫を務める。鳥羽院政期後半の康治2年(1143年)頃には大蔵卿に任ぜられている。久安4年(1148年)10月10日卒去。享年59。
天治年間(1124年-1126年)において、父の基頼が創建した持仏堂である持明院を改築・拡張して、安楽光院と改名。鳥羽上皇を招いて盛大な供養を行った。これ以降「持明院」の名称はその邸宅の名として残り、またその家の家号ともなった。三男の基家がこれを継承し、その子孫は羽林家の持明院家として発展した。
官歴
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
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