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藤原光隆

平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿。藤原清隆の長男。正二位・権中納言。 ウィキペディアから

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藤原 光隆(ふじわら の みつたか)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿藤原北家利基流、権中納言藤原清隆の長男。官位正二位・権中納言。屋敷があった地名から壬生・猫間を号しており、「猫間中納言」と称された[1]

概要 凡例藤原光隆, 時代 ...

平家物語』巻八「猫間」においては、寿永2年(1183年)に源義仲を訪問した光隆が、義仲によって愚弄される逸話が紹介されている。義仲のやかたで光隆は、高く盛り付けられた飯や三種のおかず、平茸の汁などの多量の食事を出され、椀が汚らしいのに辟易したところ、「それは仏事用の椀だ」と説明されて、仕方なく少しだけ口にしたところ、義仲に「猫殿は小食か。猫おろし(食べ残し)をしている。遠慮せずに掻き込みなさい」などと責められて興醒めし、話をせずに帰った、というものである。

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官歴

公卿補任』による。

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系譜

脚注

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