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藤原公兼 (非参議)
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三条 公兼(さんじょう きんかね/きんかぬ)は、鎌倉時代の公卿。非参議正二位。父は権大納言藤原実持、母は宇佐大宮司公通女[1]。
正二位まで至ったが、従三位に叙せられて位後、薨去するまで散位のままであった。
公兼と琵琶
『文机談』によれば、琵琶の名手藤原孝時の弟子として『古今著聞集』編者の橘成季の名が挙げられ、その流れをくむ人として公兼の名も挙げられている[2]。このことにより、公兼は琵琶を稽古していたことがわかる。
経歴
以下、『公卿補任』及び『尊卑分脈』に基づいて記述する。
- 寛元2年(1244年)1月5日、叙爵[3]。
- 宝治元年(1247年)3月6日、侍従に任ぜられる[4]。
- 宝治2年(1248年)1月6日、従五位上に昇叙。
- 建長4年(1252年)1月5日、正五位下に昇叙[5]。
- 建長5年(1253年)1月13日、阿波権介を兼ねる。
- 建長6年(1254年)8月9日、左少将に任ぜらる。
- 建長7年(1255年)1月7日、従四位下に昇叙。同月27日、左少将に還任。
- 康元元年(1256年)5月8日、父実持の喪に服す。同年7月4日、復任。
- 正嘉2年(1258年)4月6日、従四位上に昇叙。
- 正元元年(1259年)4月17日、正四位下に昇叙。
- 文応元年(1260年)4月8日、左中将に転任。
- 弘長元年(1261年)2月5日、美濃権守を兼ねる。
- 弘安元年(1278年)3月14日、従三位に叙される。
- 弘安7年(1284年)1月6日、正三位に昇叙。
- 正応4年(1291年)7月、母の喪に服す。
- 永仁6年(1298年)6月23日、従二位に昇叙。
- 正安3年(1301年)1月6日、正二位に昇叙。
- 正和元年(1312年)4月17日、薨去。享年73。
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系譜
脚注
参考文献
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