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藤原師家

平安時代中期から後期の貴族。藤原経輔の長男。従四位下・右中弁、摂津守 ウィキペディアから

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藤原 師家(ふじわら の もろいえ)は、平安時代中期から後期にかけての貴族藤原北家中関白家権大納言藤原経輔の長男。官位従四位下右中弁

概要 凡例藤原師家, 時代 ...

経歴

後冷泉朝にて少納言を経て、永承3年(1048年右少弁五位蔵人に任ぜられる。左少弁を経て、天喜3年(1055年摂津守を兼ねるが五位蔵人を解かれた。康平元年(1058年従四位下・右中弁に叙任されるが、同年9月3日に卒去享年32。最終官位は右中弁従四位下兼摂津守。

逸話

右少弁師家が以前通っていて仲が絶えてしまった女の家の前を通った所、女の家人に呼び止められたので、車を引き返して女の家に入った。すると、その女の様子がことのほか素晴らしかったので、師家は女を捨ててしまったことを後悔して弁解したものの、女はひたすら読経するばかりで、返事もしない有様であった。女はお経を唱える内に、法華経七巻の「即往安楽世界」というくだりを繰り返し誦んでいたところ、そのまま気を失ってしまい、師家や家の者が女を介抱したが、すぐに女は亡くなってしまった。師家は悲しんでしばらく山里に隠遁したところ、「世捨て人となった」と噂されたが、また出仕するようになったので、「かえる弁」と呼ばれたという[1]

官歴

注記のないものは『弁官補任』による。

系譜

脚注

参考文献

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