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藤原忠成
平安時代後期の貴族。正五位下・民部大輔。御子左庶流大炊御門流の祖。子に藤原惟綱(尾張守従五位上)、昌雲(延暦寺、法務、大僧正、妙法院、牛車)、重慶(興福寺、法橋、子に義慶 ウィキペディアから
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藤原 忠成(ふじわら の ただなり)は、平安時代後期の貴族。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。官位は正五位下・民部大輔。
経歴
鳥羽・崇徳・近衛・後白河・二条の5帝に仕え、少納言や治部少輔等を経て、久安3年(1147年)民部大輔に任ぜられる。官位には恵まれず、位階は正五位下止まりであった。子・光能は参議に昇っている。
官歴
系譜
脚注
参考文献
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