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藤原光房

平安時代後期の貴族。甘露寺家7代。藤原為隆の三男。正四位下・権右中弁 ウィキペディアから

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藤原 光房(ふじわら の みつふさ)は、平安時代後期の貴族藤原北家勧修寺流参議藤原為隆の三男。官位正四位下権右中弁伊豆弁を号す。

概要 凡例藤原光房, 時代 ...
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経歴

元永3年(1120年)に正六位上大膳亮に任ぜられた後、白河院政期末に摂津守を務める。保延4年(1138年伊賀守の任にあった際、光房が築造した土御門殿崇徳天皇が還御したが、わずか7ヶ月後に土御門殿は焼亡している。

その後、勘解由次官を経て、永治元年(1141年近衛天皇の践祚に伴い、源師能とともに五位蔵人に任ぜられ、久安3年(1147年)には右少弁も兼ねて三事兼帯となったか。久安4年(1148年)左少弁、久安6年(1150年)従四位上・権右中弁、仁平元年(1151年正四位下と近衛朝後半は弁官を務めながら順調に昇進し、近衛天皇中宮・藤原呈子にも中宮亮として仕えた。

久寿元年(1154年)11月10日に出家し、翌11日卒去。享年46。最終官位は権右中弁正四位下兼中宮亮。

官歴

注記のないものは『弁官補任』による。

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系譜

脚注

参考文献

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