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藤原沢子
日本の平安時代の人物。仁明天皇の女御。従四位下、贈従三位。子に新子内親王(-897.12.21、三品) ウィキペディアから
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藤原 沢子(ふじわら の たくし/さわこ、生年不詳 - 承和6年6月30日(839年8月12日))は、身分の低い藤原総継と藤原数子の娘で仁明天皇の女御。従四位下[1]。光孝天皇の母。贈皇太后。
生涯
仁明天皇即位前からの妃で、 夫が即位すると天長10年(833年)に女御になった。従五位下紀伊守・総継の娘で低い身分の出身であったが、「寵愛の隆なること独り後宮に冠たり」と言うほど寵愛が厚く[2]、『源氏物語』の桐壺更衣に似ているためモデルの1人とされる[3]。
天長5年(828年)に宗康親王、天長7年(830年)に時康親王(後の光孝天皇)、天長8年(831年)に人康親王を出産した。また新子内親王をもうけている[4]。
承和6年(839年)6月30日[5]、宮中でにわかに病となり、危篤となり車で里第に運ばれるも、そのままに卒去。天皇は哀悼し、従三位を追贈された[1]。御陵は中尾陵(鳥部山陵とも[6]、京都市東山区今熊野宝蔵町)[7]。
元慶8年(884年)2月23日に所生の時康親王が光孝天皇として即位すると、同日に皇太后を追贈され[5]、3月13日、外祖父総継は贈太政大臣とされた[8]。
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参考文献
脚注
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