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藤原総継

日本の平安時代の貴族 ウィキペディアから

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藤原 総継(ふじわら の ふさつぐ)は、平安時代初期の貴族美作守藤原末茂の子。光孝天皇の外祖父。

概要 凡例藤原 総継, 時代 ...

経歴

弘仁2年(811年従五位下叙爵し、中務少輔次いで相模介に任ぜられる。のち、従五位上・紀伊守に叙任されるが、紀伊守任期中に卒去

没後の元慶8年(884年)2月に仁明天皇女御であった娘・沢子所生の時康親王が即位(光孝天皇)したことから、総継は同年6月に天皇外祖父として正一位位階を、翌仁和元年(885年)には太政大臣官職を追贈された。は妻・数子の墓と娘・沢子の山陵とともに山城国愛宕郡にあり、仁和元年(885年)に守家1戸が設置されている[1]

官歴

六国史』による。

系譜

尊卑分脈』による。

脚注

参考文献

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