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藤原通房

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藤原 通房(ふじわら の みちふさ)は、平安時代中期の公卿歌人藤原北家摂政関白太政大臣藤原頼通の長男。官位正二位権大納言

概要 凡例藤原通房, 時代 ...

経歴

万寿2年(1025年関白藤原頼通の庶長子として生まれるが、頼通の正室・隆姫女王は男子に恵まれなかったため嫡男とされた。また、頼通の正室への配慮と摂関家を継ぐという重要性から、摂関家の事実上の長である祖父・道長土御門殿で養育される。後に隆姫の弟である源師房の娘を正室に迎えて、頼通は正室・隆姫と嫡男・通房を通じて村上源氏との間に強い血縁関係を成立させる。

後一条朝末の長元8年(1035年元服すると直ちに正五位下に叙せられ、同年中に侍従次いで左近衛少将に任官する。翌長元9年(1036年)には正月に従四位下、7月に従四位上、11月に正四位下と三階もの昇叙を受け、12月に右近衛中将に任ぜられている。

長暦元年(1037年)には13歳にして従三位に叙され公卿に列すと、翌長暦2年(1038年)にも6月に正三位、8月に従二位と二階の加階に与り二位中将となる。長暦3年(1039年)正月に15歳で権中納言に任じられ、同年閏12月に正二位に昇叙された。長久3年(1042年権大納言に昇進し、長久4年(1043年)には筆頭の権大納言であった藤原頼宗を差し置いて、右近衛大将を兼ねている。

しかし、後朱雀朝末の長久5年(1044年)正月より蔓延し始めた疫病に罹患し、発病してからわずか7日後の4月27日に薨去[1][2]。享年20。通房が早逝したため、他家に養子に出される予定であった異母弟・師実が後継者として摂関家を継承する事になった。

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人物

勅撰歌人として、和歌作品が『後拾遺和歌集』『新勅撰和歌集』に1首ずつ入集している。

官歴

公卿補任』による。

脚注

参考文献

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