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藤原定綱

平安時代中期から後期の貴族。藤原頼通の四男。木工権頭、正四位上播磨守 ウィキペディアから

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藤原 定綱(ふじわら の さだつな、長元3年(1032年) - 寛治6年12月19日1093年1月18日))は、平安時代中期から後期にかけての貴族藤原北家関白太政大臣藤原頼通の四男。藤原北家小野宮流権中納言藤原経家の養子。官位正四位下播磨守

概要 凡例藤原 定綱, 時代 ...

経歴

関白太政大臣藤原頼通の四男として生まれるが、小野宮流藤原経家の養子となる。

従五位下叙爵後、後冷泉朝天喜4年(1056年)ごろ伯耆守を務め、任期後の康平2年(1059年)治国の功労により従五位上に叙せられる。その後も、備中守伊予守と地方官を歴任し、この間に康平3年(1060年正五位下治暦3年(1067年従四位下、治暦4年(1068年)従四位上と昇進する。

のち、正四位下播磨守に叙任されるが、同母兄弟の俊綱忠綱と同じく、摂関家の子弟でありながら公卿昇進はならなかった。寛治6年(1092年)12月19日卒去享年61。最終官位は前播磨守正四位下。

官歴

系譜

尊卑分脈』による。

脚注

参考文献

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