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藤原道信

平安時代中期の貴族・歌人 ウィキペディアから

藤原道信
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藤原 道信(ふじわら の みちのぶ)は、平安時代中期の貴族歌人藤原北家太政大臣藤原為光の三男。官位従四位上左近衛中将中古三十六歌仙の一人。

概要 凡例藤原 道信, 時代 ...

経歴

一条朝初頭の寛和2年(986年摂政になったばかりの伯父藤原兼家養子として淑景舎にて元服して、従五位上直叙され、同年侍従に任ぜられる。寛和3年(987年正五位下右兵衛佐永延2年(988年従四位下左近衛少将正暦2年(991年)左近衛中将に叙任されるなど武官を歴任。この間の永祚2年(990年)養父・兼家を、正暦3年(992年)実父・為光を相次いで喪っている。

正暦5年(994年)正月には従四位上に叙されたが、同年7月11日卒去享年23。

人物

非常に和歌に秀で、奥ゆかしい性格と評されたという[2]。懸想し恋文を贈った婉子女王(為平親王の娘)が藤原実資に嫁してしまった後に詠んだ和歌が『大鏡』に伝わる[3]。また、藤原公任藤原実方・藤原信方らと親しかった。『拾遺和歌集』(2首)以下の勅撰和歌集に49首が入首している[4]。家集に『道信朝臣集』がある。

「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな」後拾遺和歌集』恋二672、小倉百人一首52番

官歴

『中古歌仙三十六人伝』による。

系譜

脚注

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