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藤原重隆

1076-1118, 平安時代後期の廷臣。殿上人の作法故実書『蓬莱抄』、公事の指図書『雲図抄』など著 ウィキペディアから

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藤原 重隆(ふじわら の しげたか)は、平安時代後期の貴族藤原北家勧修寺流参議藤原為房の三男。官位正五位下右衛門権佐二条金吾と号す。

概要 凡例藤原重隆, 時代 ...

経歴

白河院蔵人堀河天皇六位蔵人・宗仁親王(のち鳥羽天皇)侍者や、大学助右衛門少尉(検非違使尉)を歴任したのち、康和6年(1104年従五位下因幡権守に叙任される。

嘉承2年(1107年鳥羽天皇即位するとその准母である皇后令子内親王皇后宮大進に任ぜられ、のち右衛門権佐を務めた。元永元年(1118年)閏9月1日卒去享年43。

人物

殿上人の作法故実書『蓬莱抄』、公事の指図書『雲図抄』を著すなど、識見豊かな官人として活躍した。その一方、その死に際して「心性頗悪、為人有凶」(『中右記』)と評されるなど毀誉褒貶も多く、『古今著聞集』には死後冥界において閻魔庁に出仕していたという説話が伝えられている。

官歴

系譜

脚注

参考文献

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