トップQs
タイムライン
チャット
視点
藤堂高通
ウィキペディアから
Remove ads
藤堂 高通(とうどう たかみち)は、江戸時代前期から中期の大名。伊勢久居藩の初代藩主。久居藩藤堂家初代。
![]() |
生涯
寛永21年(1644年)11月7日、伊勢津藩主・藤堂高次の次男として津城で生まれる。藤堂高虎の孫にあたる。
万治2年(1659年)12月に従五位下、佐渡守に叙任する。寛文3年(1663年)、父から1万石500人扶持を与えられた。寛文9年(1669年)9月29日、兄の高久から伊勢11郡5万石を分与されて、津藩の支藩である久居藩を立藩し、その初代藩主・城主格となった。後に久居陣屋を築塁している。
藩政においての治績はあまり見られないが、歌道に優れていたため、北村季吟・北村湖春親子や西山宗因らを招聘し、藩の文治発展に尽くした。著書に『久居八百五十韻』がある。


系譜
父母
- 藤堂高次(父)
- 多羅尾光誠の娘(母)
正室
- 黒田彦子(清光院) − 黒田長興の娘
側室
- 橋本氏(智鏡院)
子女
- 藤堂岩之助
- 藤堂学助
- 藤堂高敏(三男)生母は橋本氏(側室)
- 藤堂万助
- 清
- 栗
子女
- 藤堂高堅 − 実弟
関連項目
参考文献
- 梅原三千『藤影記』藤影会事務所、大正11年(1922) エラー: 日付は和暦ではなく西暦を用いてください。(説明)。
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads