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藤森良文
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藤森 良文(ふじもり よしふみ、1958年3月9日[1] - )は、日本の元陸上選手で110メートルハードルを専門とした。1982年アジア競技大会において金メダルを獲得し、アジア陸上競技選手権大会でも2度金メダルを獲得している。IAAFワールドカップにアジア代表として2度出場した。
日本陸上競技選手権大会で4度優勝している。自己ベストは14.06秒であり、この記録は元アジア記録である。
経歴
1978年の日本陸上競技選手権大会で110mハードルを14秒29の記録で優勝した[4]。同年5月に14秒06の自己ベストを記録し、アジア記録を樹立した[1][5]。同年にバンコクで開催されたアジア競技大会の日本代表に選出された。14.33秒で中国の王勛華に次ぐ2位となった[6]。
翌年の日本選手権は柏崎勝美に敗れるも、1979年に東京で開催されたアジア選手権で優勝し、国際的にも地位を確立し、大木繁男に次ぐ2人目の日本人優勝者となった[7]。これにより、1979年IAAFワールドカップのアジア代表に初めて選出されたが、完走することができなかった[8]。
1980年に日本選手権の2度目の優勝を果たしたが1981年は高橋紀幸が優勝し連覇することはできなかった[4]。1981年アジア陸上競技選手権大会(2大会連続で東京で開催された)では日本代表として柏崎とともに110m日本代表に選出された。2人で上位2位を占め、藤森は14秒22という大会新記録で金メダルを獲得した[7]。1981年IAAFワールドカップにおいてもアジア代表として出場したが、8位となり優勝したアメリカのグレッグ・フォスターより約1秒遅い記録であった[9]。
翌年の日本選手権においては14秒13という選手権記録を樹立した。この記録は7年間破られなかったが、岩崎利彦により更新された[4]。1982年にニューデリーで開催されたアジア競技大会では予選で全体で1位通過し、決勝で14秒09という大会記録を樹立し優勝した。決勝では張沈生からおよそ0.5秒の差をつけて優勝した[5][6]。
1983年には日本選手権の110mハードルで4度目の優勝を果たした[4]。
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国内大会
- 日本陸上競技選手権大会
- 110mハードル: 1978, 1980, 1982, 1983
 
 
国際大会
出典
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