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藤田琉生

日本のプロ野球選手 (2006-) ウィキペディアから

藤田琉生
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藤田 琉生(ふじた りゅうせい、2006年11月17日 - )は、神奈川県藤沢市出身[2]プロ野球選手投手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。

概要 北海道日本ハムファイターズ #32, 基本情報 ...
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経歴

プロ入り前

藤沢市立羽鳥小学校1年生のときに『羽鳥ファイターズ』で野球を始め、6年時は投手兼捕手の4番打者として県大会優勝。藤沢市立羽鳥中学校時代は硬式野球の『湘南クラブボーイズ』でプレーし、3年夏に投手として全国大会に出場した[3]

東海大学付属相模高校へ進学したが、大きな身体を上手く使いこなせずに制球に苦しみ[4]、2年夏の神奈川大会前には左肘を疲労骨折した[5]。2年秋に背番号18で初めてベンチ入りし、横浜高校との県大会準決勝では同点の9回裏から登板し、チームは10回表に4得点したが[6]、藤田が10回裏に制球を乱して途中降板し[5]、5失点を喫して敗退[6]。ただ、翌2024年2月に高校野球で二段モーションが解禁されると[2]、「自分のあったリズムで投げることで気持ちも楽。(フォームに)ストレスがなくなった」と二段モーションの投球フォームに変えたことで制球力が格段に向上した[4]。3年春は初めて背番号1を付け[6]、県大会では準優勝、関東大会ではベスト8[3]。3年夏の神奈川大会では先発にリリーフとフル回転し、計20回1/3を5失点[5]とチーム5年ぶりの甲子園大会出場の原動力となった[6]。甲子園でもエースとして3試合に登板し、防御率0.84でチームをベスト8に導いた[4]。その後、BFA U-18アジア選手権大会の日本代表に選出され[7]、その壮行試合では自己最速の150km/hを計測[6]。同大会では2試合・5回2/3を投げ、無失点で準優勝に貢献した[4]

2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズから2位指名を受けた[8]。11月26日には契約金6000万円・年俸770万円(いずれも金額は推定)で仮契約を締結[1]。12月8日に新入団会見が行われ、背番号32と発表された[9]。担当スカウトは坂本晃一[10][11]

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選手としての特徴

198cmの長身が生む角度が最大の武器である左腕[12]。持ち球は最速150km/hのストレートナックルカーブチェンジアップ[3]スライダーなどがある[4]

人物

両親はともに元バレーボール選手であり、父は9人制実業団チームで全国優勝を経験。母はVリーグNECレッドロケッツに2年半在籍した[13][14]

両親ゆずりの長身[5][注釈 1]で「手足が長く、正直、扱うのは難しいです。あまりケースがないですから、経験値からも教える側も大変で、言葉で伝えるのも難しいと思います。指導者のアドバイスに耳を傾けながらも、自分自身がしっかりしていかないといけない。ライバルは常に『自分』です」と好きなプロ野球選手やライバルもいないというが[6]、「小笠原慎之介投手が背番号1で日本一になったのが印象的だった。自分も小笠原投手と同じ湘南ボーイズに入ったのも、それの影響。テレビの生中継で見て、鮮明に覚えている[4]」と尊敬する投手に小笠原の名前を挙げている[6]

詳細情報

背番号

  • 32(2025年[9] - )

脚注

関連項目

外部リンク

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