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衣笠経平
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衣笠 経平(きぬがさ つねひら)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。内大臣・衣笠家良の長男。官位は正二位・権中納言。
経歴
宝治元年12月(1248年1月)従五位上に叙せられる。右・左近衛中将を経て、康元2年(1257年)従三位に叙される。正嘉2年(1258年)正三位に進み、文永3年(1266年)参議に任ぜられる。
文永4年(1267年)従二位に叙される。文永5年(1268年)土佐権守を兼ね、権中納言に任ぜられ、文永6年(1269年)には帯剣を聴された。文永7年(1270年)正二位に叙されるが、文永11年(1274年)薨去。享年39。
官歴
※以下、註釈の無いものは『公卿補任』の記載に従う。
- 宝治元年12月8日(1248年1月5日):従五位上に叙す[2]。
- 康元2年(1257年)正月22日:従三位に叙す。左中将如元。
- 正嘉2年(1258年)7月9日:正三位に叙す。
- 文永元年(1264年)9月10日:服解す。
- 文永2年(1265年)正月30日:復任す。
- 文永3年(1266年)2月1日:参議に任ず。右中将如元。
- 文永4年(1267年)2月1日:復任す。2月27日:従二位に叙す。
- 文永5年(1268年)正月29日:土佐権守を兼ぬ。12月2日:権中納言に任ず。
- 文永6年(1269年)8月16日:勅授帯剣を聴す。
- 文永7年(1270年)正月5日:正二位に叙す。
- 文永10年(1273年)6月28日:最勝寺八講に参仕[3]。
系譜
脚注
参考文献
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