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西五辻文仲
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西五辻 文仲(にしいつつじ あやなか)は、明治期の宮内官、政治家、奈良華族。貴族院男爵議員。旧姓・五辻[1]、幼名・亀麿[3]、旧名・清純[1]。

経歴
山城国京都で五辻高仲の三男として生まれる[1]。興福寺明王院住職[1][注 2]となるが、慶応4年4月(1868年)復飾を命ぜられ[1]、春日社新社司となる[3]。明治2年12月(1870年1月)、華族に列し西五辻家を創建した[1]。明治3年9月22日(1870年10月16日)元服し昇殿を許された[2]。1876年5月、永世華族となり、1884年7月8日、男爵を叙爵した[1][5]。
開成学校でドイツ学を修め、1873年、宮内省九等出仕となる[2][3][4]。以後、宮中祗候、歌御会始講頌、青山御所勤務、日本大博覧会評議員などを務めた[3][4][6]。
1890年7月10日、貴族院男爵議員に選出され、1911年7月9日まで三期在任した[4][6]。1933年12月11日に隠居した[1][7]。
親族
脚注
参考文献
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