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五辻安仲

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五辻安仲
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五辻 安仲(いつつじ やすなか)は、日本公家官僚華族子爵五辻家31代当主。

概要 凡例五辻 安仲, 時代 ...

経歴

山城国京都左兵衛佐五辻高仲の息子として生まれ、父の養子・五辻継仲の養子となる[1]安政5年10月28日1858年12月3日)に元服し昇殿を許された[2]元治元年7月19日(8月20日)の禁門の変では長州藩士のため画策し、参朝停止、他人面会・他行の禁止を命ぜられた[3]慶応3年1月1867年)赦免となる[3]

同年12月9日1868年1月3日)王政復古を迎え、三職書記御用掛となる[4]。慶応4年2月20日1868年3月13日)、参与内国事務局判事加勢に任じられた[4]。その後、内国事務局権判事、弁事、権弁事、弾正大弼、弁官事、少弁、神楽長、式部助などを歴任。少納言、侍従を歴任[3][4][5]明治4年11月12日1871年12月23日)岩倉使節団岩倉具視に随行して欧米に渡り、明治5年12月1859年1月)に帰国した[3]1873年(明治6年)4月14日、父・高仲の隠居に伴い家督を継承した[1]

その後、式部寮理事官心得、華族第三部長、宮内省御用掛、華族局勤務、兼式部寮御用掛、華族局主事、爵位局次官、大膳大夫などを務めた[5]

1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[6]

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栄典

系譜

脚注

参考文献

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