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西尾忠篤
遠江横須賀藩8代藩主、安房花房藩主、花房藩知事。横須賀藩西尾家11代。西尾忠受の長男。従五位下、隠岐守、子爵。横須賀西尾子爵家初代 ウィキペディアから
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西尾 忠篤(にしお ただあつ)は、遠江横須賀藩の第8代(最後の)藩主。のちに安房花房藩主。横須賀藩西尾家11代。子爵。
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生涯
嘉永3年(1850年)、第7代藩主西尾忠受の長男として生まれる。文久元年(1861年)10月13日、忠受の死去により家督を継ぐ。文久3年1月15日、将軍徳川家茂に拝謁する。同年12月16日、従五位下・隠岐守に叙任する。
幕末の動乱期で藩内では佐幕派、尊王派が抗争を続け、慶応4年(1868年)の戊辰戦争においても両派の抗争が続いたが、八十美穂や青山善一郎らによる佐幕派への説得もあって、横須賀藩は新政府に協力した。慶応4年(1868年)9月5日、徳川家達が東海地方に封じられたため、忠篤は安房花房に移封となった。
明治2年(1869年)の版籍奉還で知藩事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官となった。やがて東京へ移った。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1]。
明治43年(1910年)11月5日に死去した。享年61。はじめ池田茂政次男の勝順を養子に迎えていたが離縁し、加藤泰秋四男の忠方が家督を継いだ。
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家族
父母
- 西尾忠受(父)
妻
養子
脚注
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