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観音寺 (鈴鹿市高塚町)

三重県鈴鹿市高塚町にある寺院 ウィキペディアから

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観音寺(かんのんじ)は、三重県鈴鹿市高塚町にある、真言宗御室派の仏教寺院。

概要 観音寺, 所在地 ...

概要

山号は高神山(こうじんやま)。本尊の十一面観世音菩薩は秘仏。

当寺の裏山で起きた侠客同士の私闘・荒神山の喧嘩講談などで有名になり、荒神山観音寺の呼び名の方が良く知られる[1]

歴史

当山は、弘仁3年(812年弘法大師が、日本武尊の神霊を仏像として祀り、神事山(こうじやま)と称したのが始まりと伝えられる[2]

その後寛治元年(1087年)、大和国の律師・法陵が、神事山の観音大士のお告げにより、当地のの大樹の下に、十一面観音像を見出し、堂宇を建立し安置したのが創建とされる[2]

創建時は、紅葉山高宮寺と呼ばれ、加佐登神社周辺にあったとされる慈悲山寺(廃寺)の末寺であったという。

中世に衰退するが、寛永10年(1633年)、伊勢神宮参拝の途上で失明した奥州出羽の行者・荒沢順海が、当寺に祈願したところ開眼全癒したことからここに留まり、異母姉である春日局徳川家光乳母)の支援を得て再興した。春日局は上洛した際に参拝し、鐘楼梵鐘と仏像5体を寄進している。

慈悲山寺が衰えたため、元禄4年(1691年)には高野山の末寺となり、高野山の一字をうけて高神山へ改称。

寛保3年(1793年)には僧・宥信が現本堂を建立、安永4年(1775年)には僧・光瑞により奥の院が建立され黒観音と三宝荒神が安置された。

慶応2年(1866年)、当寺裏山で起こった神戸長吉と安濃徳との縄張り争いは「血煙荒神山」[1]として講談浪曲などで取り上げられ、浪曲師・広沢虎造は喧嘩で憤死した吉良の仁吉の碑を建立している。

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年中行事

  • 2月:節分の日、星供養。
  • 4月7 - 8日:春季会式、勝運厄除、護摩修行。
  • 8月15日:盆供養。
  • 毎月1日、7日、21日:勝運祈願。

所在地

  • 三重県鈴鹿市高塚町1777

交通アクセス

周辺情報

脚注

参考文献

関連項目

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