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貫井清憲
日本の実業家、政治家 ウィキペディアから
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貫井 清憲(ぬくい きよのり、1892年〈明治25年〉4月28日[1][2] - 1984年〈昭和59年〉8月3日[1][3])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、埼玉県児玉郡若泉村長、同阿久原村長、同神泉村長。
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経歴
埼玉県児玉郡若泉村(のち阿久原村を経て神泉村、現:児玉郡神川町)で生まれる[1]。1910年(明治43年)、群馬県立富岡中学校を卒業[1][3]。
実業家としては1920年(大正9年)から9年間鬼石銀行(現・群馬銀行)取締役を、1922年(大正11年)から18年間上武自動車社長を、1933年(昭和8年)から8年間児玉郡乾繭組合長をそれぞれ務めた[2]。また、1943年(昭和18年)に上信電鉄取締役に、1951年(昭和26年)に武蔵野銀行取締役にそれぞれ就任した[2]。そのほか、埼玉県森林組合連合会常務理事、若泉村酪農組合長、埼玉酪農業協同組合顧問、埼玉県緬羊協会長、鬼石製材社長、若泉製材工業会社取締役社長、埼玉県農業委員などを務めた[1][3]。
政界では、1922年から1947年(昭和22年)まで若泉村会議員を6期務めた[2]。1929年(昭和4年)から公職追放の1946年(昭和21年)まで同村長を5期務めた[2]。1932年(昭和7年)に児玉郡選挙区から立憲政友会所属で埼玉県会議員に当選した[2][4]。同年1月から1940年(昭和15年)1月まで2期務めた[2]。同年の選挙にも立候補したが、次点で落選した[5]。1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙で旧埼玉3区に自由党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた[1][3]。1953年(昭和28年)の第26回衆議院議員総選挙にも立候補したが、落選した[6]。その後、同年から阿久原村長となり、1954年(昭和29年)に市町村合併で成立した神泉村長となった[2]。1982年(昭和57年)6月24日に引退を表明した[7]。村長は7期務めた[8]。
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親族
脚注
参考文献
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