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達谷窟信敬
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達谷窟 信敬(たがや しんけい、1833年(天保3年12月[1])- 1909年(明治42年)9月20日[1])は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
陸奥国磐井郡達谷村[2](岩手県西磐井郡平泉村を経て現平泉町)出身[3]。もと西光寺の住職だったが戊辰戦争時に還俗し米沢藩、久保田藩などを遊歴した[2][4]。明治維新後に磐井県の小学校教員となる[2][4]。1875年(明治8年)教職を辞し、1879年(明治12年)東磐井郡役所の郡書記となり、翌年辞した[5]。ついで岩手県会議員に当選し、同常置委員も務めた[1][5]。その後北海道に渡り、空知郡市来知村・幌内村・幾春別村戸長、市来知ほか二ヶ村戸長を歴任した[2]。
1892年(明治25年)2月の第2回衆議院議員総選挙では岩手県第5区から議員集会所所属で出馬し当選[1]。衆議院議員を1期務めた[1]。
脚注
参考文献
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