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遠山秀友
美濃国苗木藩の第2代藩主 ウィキペディアから
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遠山 秀友(とおやま ひでとも)は、美濃苗木藩の第2代藩主。通称は刑部。
苗木藩初代藩主の遠山友政の長男。
略歴
慶長14年(1609年)12月2日11月6日苗木城で生まれた。
慶長19年(1614年)、将軍・徳川秀忠に御目見えした。
元和5年(1619年)12月19日に父が死去したため、元和6年(1620年)5月に苗木藩主を嗣いだ。
寛永14年(1637年)、江戸城本丸奥の間御普請御手傳を勤めた。
寛永16年(1639年)、美濃郡代の岡田善政が、福岡村から江戸城本丸用材として1万本を伐出した。
参考文献
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- 『苗木藩政史研究』 第一章 苗木藩の成立 第一節 苗木藩の成立事情 二 歴代藩主の素描 二代刑部少輔秀友 p10 後藤時男 中津川市 1982年
- 『中津川市史 中巻Ⅰ』 第五編 近世(一) 第一章 支配体制と村のしくみ 第三節 領主の略系譜 一 遠山家 遠山刑部少輔秀友 p45~p46 中津川市 1988年
- 『恵那郡史』 第七篇 江戸時代 (近世「領主時代」) 第二十八章 諸藩分治 其二 苗木藩距江戸 遠山秀友 p232~p233 恵那郡教育会 1926年
- 『福岡町史 通史編 下巻』 第五部 近世 第一章 近世における苗木藩の概観 第一節 苗木藩成立と領村支配 苗木遠山氏と藩主 p1~p8 福岡町 1992年
脚注
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