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滋野井季吉
安土桃山時代から江戸時代前期の日本の公卿。滋野井家15代(再興)。五辻之仲の長男。正二位権大納言。子に真清(菩提院) ウィキペディアから
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滋野井 季吉(しげのい すえよし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての日本の公卿。中絶していた滋野井家を再興した。
生涯
天正14年9月(1586年)、五辻之仲(当時は元仲)の長男として誕生する。初名は冬隆[1](ふゆたか)。
慶長5年(1600年)正月、15歳で叙爵され、同年4月に元服し昇殿を許される。元和2年4月26日(1616年6月10日)、名を季吉(すえよし)と改める。寛永4年(1627年)、参議となり、公卿に列した。
寛永9年(1632年)には元日節会の外弁を、寛永11年(1634年)は白馬節会の外弁を務める。寛永12年(1635年)には踏歌節会の外弁を務め、同年2月3日の春日祭に上卿として参向する。寛永13年(1636年)は元日節会の外弁、寛永14年(1637年)[2]と寛永16年(1639年)は踏歌節会の外弁を務めた。寛永16年12月29日(1640年2月20日)、寛永12年1月5日に従二位叙位の位記を賜った。寛永17年(1640年)は白馬節会の外弁を務め、11月7日の春日祭に上卿として参向、同18年(1641年)は元日節会の外弁を務めた。
寛永20年(1643年)、紹仁親王が即位する(後光明天皇)と、即位外弁を務めた。寛永21年(1644年)、元日節会の外弁を務める。同年2月16日、除服する[3]。
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官歴
- 慶長5年1月11日(1600年2月25日)、従五位下
- 慶長5年7月6日(1600年8月14日)、侍従に任官
- 慶長6年3月19日(1601年4月21日)、越中権介を兼官
- 慶長9年8月1日(1604年8月25日)、従五位上
- 慶長12年1月17日(1607年2月13日)、右近衛少将に任官
- 慶長13年1月6日(1608年2月21日)、正五位下
- 慶長17年1月5日(1612年2月6日)、従四位下
- 慶長18年1月6日(1613年2月25日)、従四位上
- 慶長18年11月1日(1613年12月12日)、右近衛中将に転任
- 元和8年1月5日(1622年2月15日)、正四位下
- 寛永4年2月2日(1627年3月19日)、参議、右近衛中将は如元[5]
- 寛永4年4月22日(1627年6月5日)、従三位
- 寛永8年1月6日(1631年2月6日)、正三位
- 寛永9年1月11日(1632年3月1日)、権中納言
- 寛永12年1月5日(1635年2月22日)、従二位
- 寛永19年1月5日(1642年2月4日)、正二位
- 寛永20年1月11日(1643年3月1日)、権中納言を辞任
- 寛永20年10月8日(1643年11月19日)、権大納言
- 正保4年12月28日(1648年1月22日)、権大納言を辞任
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系譜
脚注
参考文献
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