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酒井忠仰

姫路藩の世嗣 ウィキペディアから

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酒井 忠仰(さかい ただもち)は、江戸時代中期の播磨国姫路藩の世嗣。官位従四位下備前守

概要 凡例酒井忠仰, 時代 ...

略歴

上野国前橋藩主・酒井忠恭(のち姫路初代藩主)の長男(庶子)として誕生。母は側室・石原氏。

庶子だったため、ただちに嫡子となることはできなかった。寛延元年(1748年)に小姓となって3000俵の新封を受け、翌寛延2年(1749年)に叙任する。その後、嫡子だった次弟・忠得、三弟・忠宜が相次いで早世したため、宝暦11年(1761年)に嫡子となる。しかし、忠仰も家督相続を果たせず、明和4年(1767年)に早世した。代わって忠仰の長男・忠以が忠恭の嫡子となった。

系譜

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