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酒井忠宜
江戸時代中期の播磨姫路藩の世嗣。従四位下・阿波守。酒井忠恭の三男 ウィキペディアから
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酒井 忠宜(さかい ただよし)は、江戸時代中期の播磨国姫路藩の世嗣。官位は従四位下・阿波守。
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略歴
姫路初代藩主・酒井忠恭の三男として誕生。母は榊原政邦の娘・考(孝子)。正室は前田吉徳の七女・暢姫。
忠恭が上野国前橋藩主だった時代に生まれる。宝暦5年(1755年)、忠恭の嫡子だった兄・忠得が早世したため、代わって嫡子となる。同年徳川家重に御目見し、従四位下阿波守に叙任されたが、忠得と同様に家督を継ぐことなく宝暦11年(1761年)に22歳で死去した。
代わって、庶兄・忠仰が嫡子となった。
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