トップQs
タイムライン
チャット
視点
酒井忠寄
ウィキペディアから
Remove ads
酒井 忠寄(さかい ただより)は、江戸時代中期の出羽庄内藩の第5代藩主。酒井佐衛門尉家第11代当主。老中。官位は従四位下、摂津守、左衛門尉、侍従。正室は前田綱紀の養女(浅野吉長の娘)。
![]() |
Remove ads
生涯
出羽庄内藩支藩の松山藩主・酒井忠予の次男。本家の酒井忠真の子が早世し、嗣子がなかったため養子入りし、第4代藩主・忠真の養嗣子となる。庄内藩は蝦夷警備と東北の外様大藩警守が任務で、通常幕府の役職に就かないならいであったが、忠寄は寛延2年(1749年)、46歳のとき老中に抜擢された。老中在任中、宝暦騒動(郡上一揆)始末の担当となり裁判を担当している。
経歴
系譜
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads