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酒泉温忠

日本の政治家 ウィキペディアから

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酒泉 温忠(さかいずみ あつただ[1]1847年弘化4年[1]〉 - 没年不明[2])は、明治時代の政治家茨城県那珂郡湊町長、水戸市長。幼名は餘三郎[1]

経歴

水戸藩士酒泉新三郎の三男[1]、水戸の長老である酒泉直の実弟[3]。はじめ陸軍省に出仕し、のち警視庁に移り、茨城県警部となり、一旦辞職したのちに茨城県典獄となった[4]。ついで福井県典獄から台南県典獄に転じたが、病を理由に帰郷した[4]

1894年(明治27年)那珂郡湊町長となり1年務め[5]、1899年(明治32年)3月、水戸市長に就任し、茨城県農学校(水戸農学校の前身)の設立、茨城県高等女学校や水戸市立下市幼稚園の創立、水戸農学校の移転新築などに尽力した[3]

親族

  • 兄 酒泉直(水戸町会議員)[1]
  • 長男 酒泉真一(書家)[6]

脚注

参考文献

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