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野村直輝
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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野村 直輝(のむら なおき、1991年4月17日 - )は、山口県下関市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・大分トリニータ所属。ポジションはミッドフィールダー。
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来歴
5歳でサッカーを始め、小・中学校時代は地元クラブのセイザンFCに所属[1]。下関中央工業高校では3年時に主将を務めた[2]。高校卒業後は日本経済大学に進学。
2014年、J2・横浜FCに加入[3]。3月2日のJ2第1節・愛媛戦でJリーグデビューを果たす。4月29日の第10節・讃岐戦では途中出場からJリーグ初ゴールを決め、このゴールが決勝点となってチームに約1ヶ月ぶりの勝利をもたらした[4]。翌2015年に監督が山口素弘からミロシュ・ルスに代わると出場機会が激減。試合に出られないフラストレーションから反発した態度を取ったこともあったが、その行為を飯尾一慶、安英学、渡辺匠と先輩のチームメイトから窘められたことで意識を改善[5]、リーグ終盤には再び出場機会を得た。2016年以降は横浜FCで不動の主軸に成長したが、野村曰くこの時の経験が今に繋がったと述べている[6]。
2019年、徳島ヴォルティスに完全移籍[7]。3-4-2-1システムのシャドー[8]としてリーグ戦39試合に出場を果たすと、7得点12アシストとキャリアハイの成績を残すなど存在感を発揮。徳島サポーターの投票により決定するMIPとシーズンベストゴール両方に選出された[9]。野村の活躍もありチームはJ1参入プレーオフ決定戦にまで進出したが、湘南ベルマーレに引き分け[注釈 1]、J1昇格は果たせなかった。
2020年、J1・大分トリニータに完全移籍[10]。加入時の希望背番号は11番であったが田中達也と競合したため譲り、10番を選択した[8]。第1節・セレッソ大阪戦にて途中出場からJ1初出場を果たすも、その後は原因不明の膝の痛みにより長期離脱した[11]。9月16日、第24節・FC東京戦にて後半22分から7か月ぶりに公式戦出場を果たすと、J1初ゴールを奪うなど活躍し勝利に貢献した[12]。11月21日、第28節・川崎フロンターレ戦では前半34分に相手DF谷口彰悟に倒され得たPKを自ら決めると、これが決勝点となり目の前での川崎の優勝阻止の立役者となった[13]。
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所属クラブ
- 1998年 - 2004年 セイザンFC(下関市立熊野小学校)
- 2004年 - 2007年 セイザンFC U-15(下関市立川中中学校)
- 2007年 - 2010年 山口県立下関中央工業高等学校
- 2010年 - 2014年 日本経済大学
- 2014年 - 2018年 横浜FC
- 2019年 徳島ヴォルティス
- 2020年 - 大分トリニータ
個人成績
その他の公式戦
- 2018年
- J1参入プレーオフ 1試合0得点
- 2019年
- J1参入プレーオフ 3試合0得点
- 2022年
- J1参入プレーオフ 1試合0得点
- Jリーグ初出場 - 2014年3月2日 J2第1節 愛媛FC戦(ニッパツ三ツ沢球技場)
- Jリーグ初得点 - 2014年4月29日 J2第10節 カマタマーレ讃岐戦(香川県立丸亀競技場)
選抜歴
- 2011年 九州大学選抜
- 2012年 九州大学選抜
脚注
関連項目
外部リンク
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