トップQs
タイムライン
チャット
視点
銅谷志朗
日本のアナウンサー ウィキペディアから
Remove ads
銅谷 志朗(どうや しろう、1944年(昭和19年)4月30日[1][2] - 2018年(平成30年)10月29日[2])は、日本のアナウンサー(山陽放送→テレビ朝日→フリー)[1][3][4]、相撲キャスター[1][3][4][5]、相撲ジャーナリスト[3][5]。東京相撲記者クラブ会友[1][2][3][4]。
Remove ads
来歴・人物
港区立白金小学校、港区立高松中学校、東京都立三田高等学校を経て、明治大学政治経済学部経済学科を卒業後、1968年(昭和43年)4月、山陽放送(現在のRSK山陽放送)にアナウンサーとして入社[2]、ラジオDJ、テレビ広報番粗、ニュースなどを担当[1][3][4][5][6]。
1971年(昭和46年)4月、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)に移籍[1][2][5]。主にニュース、ドラマのナレーション、スポーツ実況(大相撲・プロレス・ボクシング・アーティスティックスイミング・重量挙げ・卓球・競馬・陸上競技フィールド競技など)を担当[1][3][5][6]。1980年(昭和55年)のモスクワオリンピックの実況も担当した[5]。相撲においては、1972年(昭和47年)九州場所3日目から約20年間キャスターを務めた『大相撲ダイジェスト』では独特の語り口と分かりやすい解説でお茶の間の人気者となり[5][7]、また大相撲ファンにとってはお馴染みの顔になり、三賞選考委員も務めた[1][3][4][6]。
42歳の時に膵臓がんの手術を受け、胆嚢を全摘出し、十二指腸の一部と膵臓の頭の部分、胃の3分の2も切除。その後も蛋白質や脂肪は薬で消化する日々だったが、体調は徐々に回復する[8]。
1991年(平成3年)5月にアナウンス部副部長をもってテレビ朝日を退社[2]、6月にはフリーアナウンサーとなり[2]、テレビ東京の『激生!スポーツTODAY』などで相撲コメンテーターを務めた[1][6]。フリーアナウンサーとしてはナレーション、司会、講演で活動[1][3][4][6][9]。相撲ジャーナリストとしては力士からの信望も厚い[5]。また報道番組・情報番組・ワイドショーのゲストコメンテーター[10]、JR東日本ジパングクラブ『大相撲講座』講師も務めた[11]。
2018年(平成30年)10月29日13時5分、敗血症のため、東京都内の病院で死去。74歳没。葬儀は密葬で営まれた[2][7][10][12]。
Remove ads
出演番組
山陽放送
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
テレビ朝日
- 大相撲ダイジェスト(1972年 - 1991年)司会[6]
- ワールドプロレスリング[6]
- エキサイトボクシング[6]
- Oh!相撲[6]
フリー
ビブリオグラフィ
著書
- 『おもしろ相撲学―番外「大相撲ダイジェスト」』(テレビ朝日、1986年9月)ISBN 4881310771
- 『大相撲テレビ観戦手帳―テレビ桟敷でなんでもドスコイ! 』(東急エージェンシー出版部、1993年1月)ISBN 4884970136
- 『満員御礼!―大相撲なんでも早わかり』(講談社文庫、1996年1月)ISBN 4062631490
- 『大相撲の魅力 -相撲アナが語りつくす』(心交社、2009年5月)ISBN 4778107721
脚注
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads