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長内健栄
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長内 健栄(おさない けんえい、1886年〈明治19年〉8月18日[1] - 1961年〈昭和36年〉12月10日[2])は、日本の政治家、農業経営者[2]。衆議院議員、大光寺村長。
経歴
青森県南津軽郡大光寺村(現平川市)で、初代大光寺村長・長内建美の長男として生まれる[3][4]。東奥義塾3年時に東京の錦城中学校に転じ、1909年(明治42年)、早稲田大学政治経済科を卒業した[2][3]。
その後帰郷して、1914年(大正3年)、大光寺村会議員に当選[3]。その後、大光寺村長、消防組頭、青森県会議員を歴任[2][3]。立憲政友会支持一色であった大光寺村において、立憲民政党に入党し、同党南津軽郡分所幹事、同青森県支部幹事を務めた[3]。
1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に青森県第2区から翼賛政治体制協議会(翼協)の推薦を受けずに出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた[2][3]。当選後は翼賛政治会に所属した[5][注釈 1]。この間、濁酒づくりの公認を求めて有名となった[3]。のち、自由党青森県第一支部長を務めた[2]。
脚注
参考文献
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