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長岡好重
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長岡 好重(ながおか よししげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。三淵好重や山名好重とも。
概要
初めは三淵平六(平六郎)を名乗っていたが、母が山名民部少輔一雲斎の娘であったことから山名氏を称した。元亀4年(1573年)7月に実兄・細川藤孝に従い青龍寺城に移ると長岡氏を称した。藤孝が天正8年(1580年)に丹後国を領するようになると1000石を賜った。慶長7年(1602年)に従五位下・伊賀守に叙任された。豊前国小倉藩宇佐郡龍王城に1000石を賜った。元和3年(1617年)9月15日に57歳で死去した[1]。
系譜
脚注
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